腰骨出土地点 今は水底
SIGMA DP2merrill f:10 1/400 ISO100 −0.3EV 30mm(45mm/35mm換算)
撮影地:兵庫県明石市大久保町八木
八木海岸(西八木海岸とも)。86年前、明石
市大蔵谷在住の考古学者直良信夫が地層から
半露出していた右寛骨(腰骨)化石を表面採
集し、旧石器時代の人骨として報告した。学
閥出身者でなく、在野の一研究者であった直
良の提唱は学会で認められず、肝心の腰骨化
石も東京大空襲で焼失した。戦後、東大人類
学教室で写真と石膏模型が発見されたことか
ら、長谷部言人による再鑑定の結果、現代人
より類人猿に近い壮年男性の右寛骨であり原
人のものと報告され、ニポナントロプス・ア
カシエンシス・ハセベの学名が初めて付けら
れた。しかし、発見者である直良は本来自分
の名が付けられるべき学名に長谷部の名が付
けられたこと、また爾後に長谷部が実施した
西八木海岸発掘調査に在野故、発言権のない
オブザーバーとしての参加なら許すという一
言に色をなして怒ったと伝えられる。
表採86年後の景色
SIGMA DP2merrill f:10 1/400 ISO100 −0.3EV 30mm(45mm/35mm換算)
撮影地:兵庫県明石市大久保町八木
直良信夫が寛骨(腰骨)化石を表面採集した
付近の86年後の現状。屏風が浦の段丘崖は宅
地となり、また播磨灘の浸食もあってかなり
内陸化した。フェンス区画のマンション寄り
は、昭和60(1985)年に春成秀爾によって再
発掘されたが、人骨の追加出土はなく、説明
板に図示された石器や広葉樹ハマグワによる
人工的加工痕を伴う木器が、直良が腰骨化石
を採取したとされる、更新世中期礫層(地層
年代は約8万年前〜約6万年前)から出土し
た。フェンスには明石市による説明板が取り
付けられている。