結了町の八紘一宇の碑
SIGMA DP2merrill
f:4 1/160 ISO100 −0.3EV
30mm(45mm/35mm換算)
撮影地:大阪府交野市倉治5丁目
結了町広場
全てが終わるという名前の町、結了。
その町の集会所前にひとつの石柱が立
っている。通称:八紘一宇の碑。ごみ
出しの看板に隠され、土に埋もれて、
全ての字を目の当りにはできないけれ
ど、戦時中のスローガンとして重宝さ
れた「世界はひとつ(天下一家)」は
元々、神武天皇の詔として捏造された
もの。令和の砌、当たり前の様にむし
返される万世一系の皇統の最古に位置
づけられる大ミカドの発した言葉であ
る。考えてもみなさい(偉そうに)千
数百年前以前の土器しか残らない時代
に、詔だの文章だの残る訳がない。稗
田阿礼でも一字一句違えずに諳んじて
いる訳がない。全ては必要に迫られて
後の世に作られたもの。汝等臣民はい
つの時代も国の進める祀りごとに振り
回されるのである。そして結了町の碑
柱に託された本当の意味は別のところ
にあった。
石柱の正体とは
SIGMA DP2merrill
f:4 1/60 ISO100 −0.3EV
30mm(45mm/35mm換算)
撮影地:大阪府交野市倉治5丁目
結了町広場
通称:八紘一宇の碑の後姿。上下2段
に飛び出している鉄芯とボルトは石柱
の本来の用途が木部の固定であったこ
とを物語っている。本来の姿、それは
国旗掲揚柱。そしてこちらの面に刻ま
れた集會所寄贈記念。結了町だけでな
く、昭和十七年十月、倉治集落の各町
会に集会所を寄贈した者こそ翌月に解
散する交野無盡金融であり、社長であ
った金澤泰治。解散を目前に全ての清
算を終え、無尽本来の融通を使って創
業の地に痕跡を遺したものと思われる
。時の時代背景を巧みに利用しつつ。